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withコロナの時代だからこそ「楽しむ」という庭のあり方~笑顔あふれる庭づくり~

作業の裏側

こんにちは。作庭家の井村幹仁です。

 

相模原での雑木の庭のアトリエでは剪定も終わり、木漏れ日の気持ちの良い空間になりました🍂

 

アトリエのウッドデッキでは秋の気持ちよさに包まれながら、公的である青空ミーティングを行ったり、

私的なバーベキューで家族や仲間と楽しんだり、プールしたり、読書をしたり、娘とキャンプ遊びをしたりと多種多様に利用しています。

私の定義するアウトドアリビングにはこういった多種多様な利用を目的として制作されています。

もちろん住宅に限ったことだけでなくマンションでの利用価値も一緒です。

 

マンションのベランダをリノベーションしたもの。

洗濯ものを干すという利便性に「楽しむ」という「付加価値」を付けたもの

外に一室増やした感じに演出し部屋全体を広く見せ、なおかつアウトドアリビングとして楽しめる場を提供した一例。

 

 

すなわち庭はただあるのではなく、多種多様に利用し、「楽しむ」ことを前提に提案・提供しています。

そしてその楽しみ方や利便性も私が率先して経験し、提案・提供していきたいと考え、多ジャンルの可能性を常に探しています。

特に今はコロナウィルスが猛威を振るっている時代です。この先も沢山悩ませることでしょう。

しかし、だからこそ何をすべきか。何がこれからの庭に必要なのか。ただ庭を作るのではなく、様々な体験や笑顔を提供し、皆さんの日常をハッピーにするのが私の仕事と思っています。

 

「庭は楽しむための要素」

それぞれの好みに合わせ遊ぶ。可能性は無限大。

withコロナの時代だからこそ取り入れるべき要素。

 

 

これからの庭として特に私が提案したいテーマは「里山的庭園」です。

「里山の庭」とも位置づけができると思います。

 

今、巷では「スマートシティ」や「DX」など様々な言葉が飛び交い、デジタル技術が更に加速し話題になっています。「里山的庭園」など時代に逆行しているように感じてしまうかもしれません。

しかし実際には全くそんなことはありません。

 

それは

「人間は利便性と不便さの両方を好む」という「矛盾」が好きなのです。

 

里山は人間にとって一番近い存在の自然でした。人間が介入することでよりお互いがウィンウィンの関係で共存していたわけです。しかし化石燃料の発達によりこの関係は崩れ、身近にあった里山は荒れたのです。ですが化石燃料に頼り過ぎた人間は過ちに気づき改めて自然という「素晴らしき資源」に向き合うことになります。

近年キャンプブームも相まって薪ストーブなどの需要も増え、里山が供給し続けていた「薪」という「素晴らしき資源」の需要も環境問題も含めて再加熱してきました。

 

スイッチ一つで温まる石油ストーブ、電気やガスで温めるヒーター、他にも様々な商品が存在しますが、「薪」を選択する人がどんどんと増えている。

薪は木を切り倒し、程よい長さに切り(玉切り)、そして斧で割り(油圧機械などもありますが)、一年以上寝かせる。

こんな大変で手間がかかってもやる人が増える。

 

これこそ「人間は利便性と不便さの両方を好む」という「矛盾」なのです。

 

では一体なぜなのか?

 

答えは簡単。

「楽しい」からです。

 

我々はデジタル化で利便性を求めますが、不便さである薪を割る行為、消すのも一癖ある手間が楽しいのです。

わざわざ不便な地でキャンプし焚火をする行為も同じですが、更に言うと里山にある風景の中でトイレもあり水道もある利便性に薪を割り火を起こす非日常を求めているのです。

 

リモートが当たり前になった時代、「楽しいと思える環境づくり」が必ず求められると思います。

 

そのときに私は自信をもって「里山的庭園」「里山の庭」を提案・提供することができるのです。

 

そこには我々日本人の心の奥底に「里山の景色」「里山と共存してきた遺伝子」という潜在意識が必ずあるはずだと考えられるからです。

庭が多きい、小さいという問題ではなく、この「限られた時間の中でいかに楽しめるか」が重要になるわけです。

 

私はこの「里山的庭園」には限りない可能性があると思います!

 

新緑や花や紅葉の「視覚」、花の香りや土の匂いの「嗅覚」、枝葉が風に揺れる音や鳥のさえずりの「聴覚」、自然由来のものをいただく「味覚」、大地の温もりを感じる「触覚」

昔も今も変わらぬ楽しみ方を今の時代に照らし合わせ皆さんに「笑顔」であり「ハッピー」を届けられたら嬉しいです。